!!

2005年11月12日

先日受講した研修で聞いた話。
講師の方によればマネジメント論・組織論では有名な寓話らしいのだが、Web上には日本語文献はほとんどみあたらない。

てなわけで、ようやく見つけた「アピリーンの逆説 - 湘南蹴鞠屋」さんから引用させてもらうことにした。

暑い暑い夏の日、場所はテキサス州コールマンという田舎町。ある老夫婦とその娘夫婦の四人が午後のひと時を過ごしていました。外は太陽がジリジリと照りつけ砂も舞うこの季節、自宅のテラスでゆっくりと冷たい飲み物でも飲みながらトランプでもするのが一番の過ごし方だと、四人の誰もが知っていました。ところが老人は「折角の娘夫婦の訪問だし、取りあえず言うだけ言ってみよう。誰も賛成するまい。」と「どうだい、これからアビリーンまでドライブしてカフェで夕食を取ると言うのは?」と三人に尋ねました。コールマンからアビリーンまでは53マイル(85キロ)もある上、あいにく老人の車はエアコンが効きません。誰も賛成する理由がない提案のはずでした。ところが、現実に起こったことは.....誰もがお互いに「自分は行きたくない」と言えなかったばっかりに、四人は熱気でむせ返るテキサスの砂漠を、砂を浴びながら1時間30分かけてドライブし、どうということのない夕食を食べ、同じだけの時間をかけて自宅に戻りました。誰一人、口をきく元気も失って。何がいけなかったのでしょうか?善良なこの四人は皆自分たちが何をすべきか、何をしたいかを知っていたのに。

研修では、グループディスカッションの際に「いろんな立場で意見を主張しないと議論が偏っていく」ことの警鐘としてこの話が紹介されていた。

上司やお客さんの顔色を気にしすぎて本来望まない方向に流れていく、というのは普段の仕事でも十分おこりうる話。暑い暑いアビリーンに行くハメにならないよう、よく考え、しっかり発言していくとしよう。


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2005年10月20日

昨日ある方と話しているなかで、いただいた言葉。

足踏みしてても状況は変わらない。
そんなときには、まずシンプルな問いを立て、
Yes or No を自分に聞いてみる。
その答えをもとに、まず一歩を踏み出す。

この繰り返しが、人生を楽しく、ワクワク過ごすコツなんだろうな。
貴重な気づきをいただき、感謝です!


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2005年09月24日

 先日紹介した『心で感じる女 腹で感じる男』を読みおえた。

 端を折ったページを読み返しているときに、妙に心にひっかかる詩があった。ちょっと長いけどメモ。

友達、ああ、友達
彼らについて
君が認めたくないことがある
彼らは君を煩わせ
君の気持ちを重くする
彼らが触れてくると
君はその手を払いのける
僕らは互いを締め出して
一人にされたと嘆くのだ

雪の上の枝にしがみつき
ぱたぱた震える
暗闇の葉っぱ
心細く孤独にはためく
心がかじかむ寂しさ
こんな寒さに震えたことが
あっただろうか
君たち、凍える兄弟たちよ
やがて深く痛切に
思い知るだろう
男たちの逡巡の中には
彼らが思う以上に
多くの封印された
愛情があると

(エドウィン・A・ロビンソン 「クレイグ船長」より)

 特に気になったのは、「僕らは互いを締め出して 一人にされたと嘆くのだ」の部分(上では太字にした)。著者クンツ氏はこの心理を「他の男に心を許すことを弱さの証と思い、過度に警戒している」と解説する。

 実のところ、僕にはこの感覚がよくわかる。昔から人に相談するのが苦手なのだ(そういえば、高校時代の担任からは「わからんところは聞きに来い!」とよく言われた)。なぜ相談できないかといえば、自ら(の感じている気持ち)を語るのが下手なこともあるが、どちらかといえば分からない自分や混乱している自分を見せることに対して、必要以上に怖がっていたのだと思う。

 格好をつけたところで中身が急に変わるわけでもないし、自らためこんでしまうことで身体を壊すのもおもしろくない。信頼できる人に対して、もっと気軽に(自分の基準では「あつかましい」と感じるくらいに)内面を話をしていくとしよう。


▼関連エントリ
「いや、別に。」を英語に訳すと? ~ 『心で感じる女 腹で感じる男』/デイヴィッド・クンツ



心で感じる女腹で感じる男
デイヴィッド・クンツ


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2005年09月12日

jimin_asshou.jpg


ここまでスゴイとは……。


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2005年08月19日

 A「昨日の夜、なに食べた?」
 B「ん? カレーライス。」
 A「この間も言ってたなぁ。よっぽど好きなんだね。
   今月何回くらい食べてるの?」
 B「そうだなぁ。外食入れて4回くらいかな」
 A「そっかぁ。ノドがひぃひぃしみるくらい辛いのとか、
   舌のうえでトローンと広がる甘みのあるのとか、
   どんな味が好み?」
 B「俺の場合はねぇ…」


 僕の苦手なものの1つに「日常会話」がある。
 日常しているただのしゃべりに得意とか苦手とかあるの?と思われるかもしれないが、僕の中では厳然とそれはある。相手とのノリが合わない場合には、会話がつながらないというか、1つ1つのやりとりが単発で、なかなか深まっていかないのだ。

 先日読んだ『絶妙な話し方の技術』にて、そんな僕にぴったりの質問の仕方が書かれていた。
 会話でさらに深いリラックス状態を創る方法を教えよう。
 コツは「思い出す」「考える」「感じる」順番に問いかけることだ。

 「思い出す」質問には、すぐに返答ができる。
 「考える」質問の場合、引っ張り出さないといけない。
 「感じる」質問の場合は、考え考え話すことになる。
 言われてみるとなるほどなぁ、という感じ。

 そんなわけで、冒頭の会話(ちなみに、フィクションです ^.^;)は、この「思い出す」「考える」「感じる」質問をさっそく実践してみたものだけど、こんな雰囲気でよいのだろうか(笑)





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2005年08月15日

最近、@ITの記事が妙にひっかかる。
4ヶ月ほど前のこの記事が心にささった。

ITエンジニアを続けるうえでのヒント~あるプロジェクトマネージャの“私点”
 第2回 なぜ「決めただけではダメ」なのか?


ITビジネス成功の縦軸として、次の3つがあるらしい。

 ステップ1:考える
 ステップ2:行動
 ステップ3:失敗を恐れない

僕はまだステップ1の「企画」段階で自らの発想に喜んでいるレベル。
ステップ2、ステップ3へと向かうには大きな壁がある。

次へと踏み出して行こう。

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2005年06月15日

 日本一はなるものではなく、作りだすもの!?

 樋口裕一さんの『人の心を動かす文章術』を読んでいて浮かんだフレーズ。

 小論文指導を仕事にしている樋口さんは、自身を「下手な文章を大量に読み添削した人」として日本一だろう(少なくとも十指には入る)と評している。

 うまい切り口を作り出せば、誰でもが日本一や世界一になれるはず。さて、僕はどんな切り方で日本一を目指そうか(笑)



※大ベストセラーとなった『頭がいい人、悪い人の話し方』はなんとな~く読む気がしないのだけれど、この本はいいです!!

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2005年06月11日

 「将来何になりたい?」

幼稚園の頃、こう聞かれると「大工さん!」と答えてた。

いまとなっては理由はよく覚えていないけど、当時の僕は1からモノをつくっていく仕事になんとなく憧れていたみたい。

数十年たって、息子に同じ質問をすると

 「プロ野球選手!」

と答える。父親としては微笑ましいのだけれど、今朝の朝日新聞に載っていたコラム「糸井重里さんからあなたへ」を読んでちょっと考えこんだ。

 世界一だの、でっかい夢だの、言うだけはタダだし、みんなが言いたがります。しかも、みんながそういう大きなことばを聞きたがります。だけど、そういう夢語りのインフレのせいで、夢をほんとうにかなえたい、という本気さが薄くなってしまったように思えるのです。

これは、子供の夢だけの話じゃない。
大人の夢だって同じ。

 たぶん、ほんとうにいまメジャーリーガーになってしまったイチロー選手にしたって、野球をはじめたばかりの小さいころには、そのつどそのつど、小さな夢をかなえることをくりかえしていたのだと思います。
 (中略)
 ぼくは、このごろよく言うようにしています。「夢が小さくていいねぇ」と。本気の夢はコンパクトなんです。

夢をもつことの大切さは、その夢の大きさではなく、それを叶えようという想いの本気度とそれを叶えたあとに次の夢を抱くことにあるような気がする。

「夢」と「目標」のちがいってことなのかもしれないけど、自分に近づけて考えるのがポイントかな。。

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2005年02月15日

いい言葉ねっと2月13日のThe「いい言葉」より。

毎日、チームのみんなのことを、
1人につき1分ずつ考えることに
しているんです。

これをやっていると、
誰がどういうことで
悩んでいるか、
どの人にどういうことを
してもらえばいいか、
自然に見えてくるんです。

(ほぼ日、岩谷徹)

最近職場であるチームを任されている。
いまは立ち上げ期だけれどこの2週間ほどでどんどん新しい人が加わり、いつの間にやら10人近い人数になってきた。

チームメンバそれぞれについて1分間ずつ考えてみるってのは、たしかにやれていない気がする。どうも目がいく範囲が偏っているようだ。さっそく考えてみよう。

ちなみに、この言葉に対するShuさんのコメントも味わい深いので抜書き。

ただ、それもくり返しているうちに、
考えて「ばかり」で、
実際に何も自分が動かないと、
考えるネタがワンパターンになり、
自分が自分の考えに飽き飽きしてくる。

結局、考えるということは、
何らかの行動とセットでないと、
不自然なんだよね。

「考えるということは、何らかの行動とセット」か。 なるほど、その通り!


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2005年02月07日

ドリコム 安藤さんの blog にて、「社内ブログの真理」について語られていた

本質的なところはやはり個々人の情報発信&共有に最適なのであり、それらの情報が蓄積されていく点にあるわけですが、+アルファとして重要なのが読み手の存在への意識

読んでくれている人の「存在」を感じつることが重要、という主張にとても共感。文章そのものがことさら他人向けスタイルでなくても、そこはやはり感じているわけで、書く内容にも書き方にも自然と反映されていく。

社内の場合は、いろんな利害関係があるのでいっそう意識的である必要があるのだろうけど、そこがうまくはまればイントラブログというのはすごい価値を発揮するのだと思う。

チャレンジしてみたくなってきた(笑)。

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