揺!

2005年03月16日

河野さんの smashmedia にて、次の記述を発見。

リマインダがうまくいった理由はもっと単純なことなのです。それは「使命感」があったからです。
使命感は強いです。周囲の雑音も、社内の政治性もすべてを覆すだけの強さがあります。

自らの4年前を思い出し、たしかに突き動かす使命感があったよなぁと思う。

いま、使命感をどこに見出しているか。
真剣に(not 深刻に)考えてみよう。

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2005年03月05日

『名言の智恵 人生の智恵』でみつけたフレーズ。

 一、寛(かん)にして栗(りつ)
 二、柔(じゅう)にして立(りつ)
 三、愿(げん)にして恭(きょう)
 四、乱(らん)にして敬(けい)
 五、擾(じょう)にして毅(き)
 六、直(ちょく)にして温(おん)
 七、簡(かん)にして廉(れん)
 八、剛(ごう)にして塞(そく)
 九、彊(きょう)にして義(ぎ)

トップが目指す九徳だとか。
フランクリンの十三徳とあわせて意識しておきたい。

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2005年02月23日

ダイヤモンド 2005.2.19号で見つけた記事より。

ワークスアプリケーションズの牧野正幸さんが、インターンとしてやってくる学生に対して毎年かける言葉だとか。

答えをみつけるのではなく、問題を自ら設定して解決策を考えるという、高次な要求。しびれるねぇ。

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2005年01月31日

昔から知っている人に思いも寄らぬところでばったり出遭う、というのは嬉しいもの。昨日、ネット上でそんな体験をした。

「アイデア」「実践」で検索していて辿りついた木村 勝己さん(All Aboutで「発明・アイデア商品・新技術」のガイドをされています)のページで、リンク集の中になつかしい名前を発見。

 ▼肩がこらないページ

ページ作者は柳田俊一さん。
1996年にホームページをつくった頃、ちょこちょこおじゃましていた。当時、10年間続けるということで「2006年までつづける」ことをトップページに掲げておられ、すごいなぁと感じていたのを思い出す。

コーナーはときどきで変遷しているようだが、いま読んでもスタイルは昔のままで妙に共感できるところがある。(人間の謝物祭なんて、なんだかいい)

柔軟だけど芯の通ったゆるぎないスタイル、僕も確立していきたい。


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2005年01月25日

メルマガ『がんばれ社長!今日のポイント』(05/1/24号)で紹介されていた言葉。 相場の格言として有名なものらしい。(出典はこちらのページが詳しい)

「もう底だ」と思っても「まだ」の心で見つめなおし、「まだまだ大丈夫」と思っても 「もう」の心で動くべし。言葉で言えば簡単だが、いざ自分事となると冷静な判断をくだすのは難しそうだ。(いまは株式投資はやってないけど、判断力を鍛えるために決めた範囲で実施するのはよいのかもしれない)

メルマガ著者の武沢さんは、この言葉を「コップの水」というコラムのなかでさらに引きつけて考えている。

●ある人に冗談で 「今年もあと342日だね。早いものですでに23日を経過した。今年はど んな一年だった?」と聞いてみた。
すると彼は、
「武沢さん、そういうのはマイナス発想ですよ。コップの水が7割残
っているのを見て、『あ、まだ7割もあるな』と感じる人がプラス発
想。『3割減っちゃった』と感じる人がマイナス発想。これは水だけ
の話ではなくて、時間や月日の感じ方でも同じですよ」
とたしなめられた。

●たしかに彼の言うことはよくわかる。そうした話はよく聞くが、私
には承服しかねる話だ。

経営者は「まだ」と「もう」の両方の視点で、どちらからでもモノを
見えるようにしておくべきだと思うのだ。

なるほどぉ、と感じた後で厳しいパンチが飛んでくる。

●やってはいけないことは、
・「まだこんなにあるのだから大丈夫」という残日数の多さだけをあ
 てにした楽観主義
・「もうこれだけしかない、どうしよう」というただ暗くなるだけの
 悲観主義

だと思う。与えられた条件は残り342日という現実なので、そこで最高
の成果をあげる方法だけを考える「現実主義」で行こう。

武沢さんのあげた楽観主義と悲観主義、仕事のなかでけっこう多く陥っている気がする。期限が先に決まっているプロジェクトにあっても、「現実主義」を心がけていこう。


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2004年12月11日

されるとドキッとする質問がある。特に子どもからの純粋な質問ほど本質をついていて一瞬押し黙ってしまうことも。

今朝、何気なく読んでいた朝日新聞でそんな質問が目にとまった。(生活面「働くって」4)
言葉の主は東北大学 教授の水原克敏さん。教養教育の総合科目「自分」ゼミを開いている方。

 作文を読むと、入学した大学や学部を不本意に思っている学生が4割いた。「夢はかなうと簡単に思いこみ、うまくいかないと失望する」と水原教授。昨年から小中高校の授業や進路相談を手伝うボランティア派遣を始めた。「子どもから『なんで大学に行ってるの』ときかれ、困ってほしい。自問自答を繰り返し、ちゃちな社会認識の上に立つ自分を砕く体験が必要です。」

「なぜそれをやるのか?」

このシンプルな問いに、自信をもって答えられる自分でいたい。
必要以上の謙遜や照れを見せずに、もちろん自嘲やあきらめ感を漂わせずに。

ちゃちな社会認識はぶち壊し、自分で納得のいく「自分」を築いていこう。
痛気持ちいい刺激をくれた水原さんに感謝!

▼参考URL
東北大学 水原研究室
東北大学 学校ボランティア


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2004年12月02日

山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室。」にて、ひっかかりのある記事に出会った。

 ▼Lesson226 フリーであるということ
  (バックナンバーに移動してたら、こっちからどうぞ)

出版社をやめてからの5年間、どんな想いで進んできたかが熱っぽく語られている。
私は、なにかの権威におもねって
仕事をもらおうとすることが大嫌いだ。
あらゆる権威にシッポをふらない、
依頼元の会社や、担当者におもねらない、
その姿勢を貫いてきた。
権威が嫌いなんじゃない、「読者」を優先したいからだ。

私が勝負をかけるのは、「読者」に対してだけだ。

うん、文句無くかっこいい。
強い芯みたいなものを感じる。
もっと言えば、ツテがなかったからこそ、
つねにアウェイで、未知の「読者」に向けて
一回一回、勝負をかけていくしかなかった。
それがよかったのだと思う。

こういう「いさぎよさ」ってとても好み。
僕も人間関係を濃くするのが好きじゃない(正確には、得意じゃない)おかげで、自然と「アウェイで勝負」スタイルをとってきたように思う。もちろん、そんな中で支えてくれたり導いてくれた人がたくさんいたし、その方々には感謝しきりなのだけれど。
いまは、自由にやれているし、心が強いけれども、
これからもし、心が弱って、
しがらみに、しがみつきたくなったら、
そのときは、思い切り、そのしがらみを断ち切って
できるだけ遠くへ、放り捨てようと思う。

そして、「表現」しよう。

「表現」すれば、そのむこうに新しい「読者」がいる。
読者から選ばれる人は、必ず生き残る。
迷わず、読者の方だけ見て、仕事をしていこうと思う。

「表現」しないから、人はしがらむのだろう。

最後のフレーズには心揺さぶられた。 人間関係で仕事がうまくいかないときは、「十分に表現しているか?」「その表現は相手に届いているか?」を自らに問い掛けていこう。物書きでなくっても、そこに「読者」はいるのだから。

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2004年11月24日

大学時代、男声合唱団に所属していた。
「文化会系のなかの体育会系」という変な呼び方をされるほど練習量の多いクラブ活動だったが、その練習が報われるのが年3回あるコンサートだ。
知人、友人、親戚に声をかけた結果、わざわざ足をはこんで聴きに来てもらえるとそれだけで嬉しい。なかには「差し入れ」と称してちょっとしたプレゼントや花束をもってきてくれる人も。会場から電車で帰る途中、花を抱えている自分の姿を妙に照れくさく感じつつ、やっぱり嬉しかった覚えがある。

十数年前の「花」にまつわるエピソードを思い出したのは、11月23日付の朝日新聞「天声人語」にて、阪神大震災のときのエピソードを語る新井満さんの言葉を見つけたから。

知人が、買えるだけのペットボトルの水とともにチューリップを携えて現地入りした。 水を受け取る被災者はどちらかといえば無表情だった。 チューリップを見ると表情が変わった。ほほえむ人、涙を流す人、いろいろだったという。

「花」には人の心に染み入るチカラがあるのだと思う。
気張らず照れずに花を贈ろう。


plant53.jpg追記:
 今年は台風や地震などの災害がとても多い年でした。新潟地震からも早1ヶ月。
 すべて元通りとはいかないかもしれませんが、被災された方々が少しでも早く平常の生活に戻れるようお祈りしています。

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2004年10月25日

「がんばる」っていう言葉はわりと好きだ。 自ら発した場合には、気合をいれることになるし、他の人の口から出てきたときも、それが自発的に発せられたのであれば素直に応援したくなる。

一方で、他人に対しての「がんばれ」という言葉はある時期から使わないようにしている。ゆうきゆうさんのblogを読んでそんなことを改めて意識した。

 ▼ゆうきゆうの快感アメーバ心理学:山田先輩の励まし方
 「がんばって」という言葉から「がんばらないと、あなたはダメなんだよ…」というイメージを無意識のうちに受けてしまう人もいるのではないでしょうか。またどうしても「がんばって」には、「外から声をかけられている」というイメージがあります。
これに対して「がんばるな」「がんばりすぎるな」という言葉は時々使う。ゆうきさんのblogでは次のように続けられている。
 これに対して「がんばりすぎないで」は確実にプラスな気持ちを伝えることができます。さらに伝えられた人はリラックスして仕事にのぞむことができ、あなたという安らぎを確かに感じ、あなたに強い好意を抱いてくれるはずです。
 ある程度親しく好きな相手に『がんばって』というくらいなら、『がんばりすぎないで』と言ったほうが数倍グッド。「あなたはいつもがんばっている」と相手の自尊心を満たすことができると同時に、「がんばらなくても、あなたには価値があるんだよ」という気持ちも伝えられる。
好意を抱かれるかどうかは別として(笑)、

 「あなたはいつもがんばっている」
 「がんばらなくても、あなたには価値がある」

というメッセージは、子供など近しい人にはぜひ伝えてあげたい。

前提は「十分にがんばっていること」なのであまり濫発すると甘ちゃんになりそうだけど、親として常に意識しておきたい言葉である。

▼書きながら思い出した本
『ガンバレ、自分!』/野中ともよ
 タイトルは逆接的だけど、自分の価値を信じて進もうって本でした。

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2004年09月20日

朝日新聞 土曜版be「フロントランナー」は、毎週いろんなジャンルで活躍している方を紹介しており、読んでいて元気がでる。

2004年9月18日号では、NPO法人アサザ基金代表理事の飯島博さんが取り上げられていた。

 ▼ 霞ケ浦のアサザで地域社会を再生する

「アサザ」とは、日本に昔からある水草の一種らしい。
飯島さんは、その水草を霞ヶ浦の湖岸に植えて、水質を改善しようというプロジェクトをひっぱっている方。

飯島さんの活動ビジョンの示し方が、夢のあるでっかさですばらしい。

「100年後にトキがすめる霞ケ浦に」。合言葉に掲げた大きな夢が住民のマイナス思考を変えた。さまざまな霞ケ浦再生事業に参加した住民は9年間で計9万人を超えた。


これこそ、後世に残す価値ある仕事だと思う。
開発を進めようとする役所との関係も、単なる「反対」「対決」ではなく、別の視点でみつめている。

 -- 国交省は首都圏が水余りとはいえ、簡単に水位の引き上げをやめられない立場です。
 飯島 日本の行政が国民に求めているのは、合意形成と言う名のあきらめです。押し返すには夢の力が必要です。霞ヶ浦に小さな可能性をみつけ、ものすごく大きな夢を描き、多くの人と共有する。これはなかなかつぶせない。従来型の反対運動よりも大きな圧力になります。


新しい活動を始め、それを大きくしていくには、まわりの人たちと同じ「絵」を共有することが必要。逆に言えば、コンセプトを強烈にイメージできる表現をみつけたとき、その活動は「夢」実現を願う人を引き寄せ、静かに大きく広がっていくことになるのだろう。

「夢」を託せる表現、探し続けないとね。

▼関連サイト
NPO法人アサザ基金
日本の水草:アサザ
おせっかい塾:アサザプロジェクト

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