2004年09月

2004年09月30日

以前のエントリにも書いたように、名前を呼ぶのは人間関係からみて絶大なる効果がある。

同じように、名前のないものに名前をつけるっていう行為も、関心が高まったり、愛着がわいたり、呼んでて楽しかったり、などのプラスの効果を感じる。

な~んて持論をもちつつ、成井さんのblogで「なるイズム:メアリーやさしくね」を読んだ。
彼女(?)にメアリーって名前があったとは驚き!たしかに21号よりも記憶に残るけど、相手が相手だけにさすがに愛着とはいかない。(^^;

ちなみに、僕の周りでそう呼んでる人はいなかったのだが、いったい何人がそう呼んでいたのだろうか(笑)

職場に気象予報士の資格試験を受けた後輩がいるので、あした話をきいてみようっと。

▼参考サイト
台風のアジア名

at 22:24│コメント(0)トラックバック(0)へ~ │

2004年09月29日

リニューアルしたドリコムブログもようやく落ちついてきた模様。昼夜なくシステム改善に奮闘されているドリコムのみなさん、おつかれさま&ありがとうございます。
#ソフトウェア開発会社に見を置くモノとしてとても他人事とは思えません。

さて、一日早いけど投稿してしまおう。
今月の初体験は、「陸上競技を生で観戦」である。

行ってきたのは9月23日に行われたセイコー スーパー陸上2004ヨコハマ

陸上競技をスタジアムで生観戦するのは初めてのこと。ハンマー投げ、100m、棒高跳び、400mリレー、走り高跳びなどなど、次々と行われる競技を前に子どものように「おぉ~!」とか「あ~惜しい…」「速~」などと声をあげまくった。

それにしても、あんなに同時平行でいろんな競技が行われているとは知らなかった。他の競技で観客が沸いているなか集中するにはすごい精神力がいりそうだ。

見ていておもしろかったのは、選手それぞれに集中力を高める「型」があること。観客に手拍子を要求する人もいれば、静かに投擲に入る人もいるし、儀式のように一連の動作を繰り返している人もいる。きっとそこへ到達するには試行錯誤の連続だったろうし、いまでもまだ満足がいかず模索中かもしれない。とはいえ、現時点でのベストと思われる「型」を実行することにより、競技そのものへのリズムがうまれてくるのだろう。

よいリズムを生むための自らの「型」、見出していきたい。

murofushi-san.jpg追伸:
 全競技が終ったあと、室伏広治さんへのアテネ五輪ハンマー投げ金メダル授与式があった。式典のあとには場内一周パレードもあり、会場に残った大勢の人たちが総立ちで拍手をする姿を見て、とてもあたたかい気持ちになれた。この場に立ち会えたことに感謝!

at 06:26│コメント(0)トラックバック(0)初! │

2004年09月26日

MyPROFILE のリニューアル、とりあえず終ったようです。
ま、まだ不具合はあるようですが、ドリコムさんの今後の改善を信じて続けてみようと思います。(同じ業界人として、他人事でもないので…)

写真が5枚のるようになったらしいので、テストを兼ねて投稿。

●普段持ち歩いているメモ帳とミニボールペン
 これにアイデアメモを書いてます。
mininote.jpg


●『僕の家』(大江千里著)
 最近読んだ本本
 「家」へのこだわりと愛に、いろいろと思うところありでした。
boku_no_ie.jpg


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2004年09月23日

ここ数日、スポーツ新聞をにぎわしている3人の野球選手 イチロー、新庄、古田。
とりあげられている理由は、大リーグ新記録、幻のサヨナラ本塁打、団体交渉と違うが、みなに共通しているのは人の耳目を集めるナニカがあり、それに耐えうるナニカをもっているということ。

コーチ21での伊藤守さんのコラム「Coach's View:華のある人」が妙につながった。
それはある放送局のプロデューサーを経てコンサルタントを始めた方で、
彼は経営者の資質についてこう言いました。

「華のある人」
「それはどんな人ですか?」
「俳優であれば、主役を演じたことのある人」
「何か違いがありますか?」
「ええ、違います。ですから、華があるんです」
「なるほど、ところで、ビジネスの世界ではどうでしょうか?」
「それは、やっぱり責任を取ってきた人。いま責任をとっている人でしょう。
 そういう人には華があります。」

「主役を演じる」、「責任をとる」。
簡単ではないし、もちろん楽ではないけれど、人の成長にとってすごく大事なこと。

「個人の名前で仕事をする」というのは企業の中にいても経験できる。かげに日向に支えてくれている人に感謝しつつ、そういう意識は日々もっていたい。

at 08:30│コメント(0)トラックバック(0)ん? │

2004年09月22日

このページで使っているblogサービス「NyPROFILE」が9/24にリニューアルするらしい。
http://www.myprofile.ne.jp/info/renewal.php

画像が5枚まで貼れるようになったり、サイドバーも今より自由にカスタマイズできそうなのでとても楽しみ。

で、このリニューアルを記念して「トラックバックプレゼント」というイベントも開催中。ページに載っている希望商品のエントリへTrackbackをうつと、抽選でその商品があたるというもの。(対象は、MyPROFILEユーザのみですよ)

商品券や折りたたみ自転車のほか、iPod mini も提供されているのだが、さてどれを選ぶかと考えてみて僕は「商品券」にした。理由は今の僕にとって一番実利があり、そのわりには倍率が低めだから。

それにしても、こういうとき何を選ぶかは性格がでそう。
はて、あなたなら何にする?

at 22:29│コメント(0)トラックバック(0)ん? │

2004年09月21日

ここ1年ばかり空室になっていたお隣に人が入ってきた。

新鮮だったのが「回覧板です!」の言葉。
こういうのってなんか嬉しいもんだねぇ。

at 07:35│コメント(0)トラックバック(0)想! │

2004年09月20日

朝日新聞 土曜版be「フロントランナー」は、毎週いろんなジャンルで活躍している方を紹介しており、読んでいて元気がでる。

2004年9月18日号では、NPO法人アサザ基金代表理事の飯島博さんが取り上げられていた。

 ▼ 霞ケ浦のアサザで地域社会を再生する

「アサザ」とは、日本に昔からある水草の一種らしい。
飯島さんは、その水草を霞ヶ浦の湖岸に植えて、水質を改善しようというプロジェクトをひっぱっている方。

飯島さんの活動ビジョンの示し方が、夢のあるでっかさですばらしい。

「100年後にトキがすめる霞ケ浦に」。合言葉に掲げた大きな夢が住民のマイナス思考を変えた。さまざまな霞ケ浦再生事業に参加した住民は9年間で計9万人を超えた。


これこそ、後世に残す価値ある仕事だと思う。
開発を進めようとする役所との関係も、単なる「反対」「対決」ではなく、別の視点でみつめている。

 -- 国交省は首都圏が水余りとはいえ、簡単に水位の引き上げをやめられない立場です。
 飯島 日本の行政が国民に求めているのは、合意形成と言う名のあきらめです。押し返すには夢の力が必要です。霞ヶ浦に小さな可能性をみつけ、ものすごく大きな夢を描き、多くの人と共有する。これはなかなかつぶせない。従来型の反対運動よりも大きな圧力になります。


新しい活動を始め、それを大きくしていくには、まわりの人たちと同じ「絵」を共有することが必要。逆に言えば、コンセプトを強烈にイメージできる表現をみつけたとき、その活動は「夢」実現を願う人を引き寄せ、静かに大きく広がっていくことになるのだろう。

「夢」を託せる表現、探し続けないとね。

▼関連サイト
NPO法人アサザ基金
日本の水草:アサザ
おせっかい塾:アサザプロジェクト

at 14:03│コメント(0)トラックバック(0)揺! │

2004年09月19日

他人の話す言葉って妙にひっかかるときがある。たとえ、そこに悪意がなかったとしても。けど、自分で口にしている言葉はどうだろう。

そんなことを考えさせてくれたのが、Dainさんのblogの以下のエントリ。

 ▼子供を追いつめるお母さんの口癖
  (わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)

紹介されている『子どもを追いつめるお母さんの口癖』(金盛浦子 著)に紹介されている130の言葉には、「そこまでは言わないなぁ…」というフレーズが多いけど、「うぐ、言ってるなぁ、これ」というものもあったりする。

お母さんじゃないけども、気をつけてみよう!

at 11:58│コメント(2)トラックバック(0)ん? │

2004年09月18日

今週はこの1冊。

9/16了(74冊目)
『自分の仕事をつくる』/西村佳哲

 全体的に矛盾のない仕事!
 「この程度でいいや」じゃない仕事!!

(入荷本)
 ・『本屋さんになる!』
 ・『ワークショップ』
 ・『やればわかるやればできる』
 ・『大人の仕事術』

hirocの本棚

at 12:08│コメント(0)トラックバック(0)感情本・人間本 │

2004年09月16日

山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室。」にて、考えさせられる記事を発見。

 ▼Lesson215 言葉化しなかったもの

ズーニーさんは自身の体験から、次のように述べている。

人が言葉を発するとき、
たとえ、その場にふさわしくない発言でも、
だれも求めていなかったとしても、稚拙でも、
そのとき、その人が、それを言わざるを得なかった
背景があるのではないか?


この段落は、さらにこう続く。

いいや、むしろ、その場にふさわしくなく、
はずれてたり、唐突な発言ほど、
その人が、そのとき、それを言葉にせざるをえなかった
なにか強い衝動が隠されていると思う。

もっと人の言葉に真摯になりたい。


自らの言葉が伝わらない経験をしたあとは、深く深く沁みてくる。

at 23:32│コメント(0)トラックバック(0)揺! │